忘れてはいけない日
この日が来たら毎年思い出すこと。
長いです。
24年前の今日、私は大阪府吹田市で大学生活を送っていました。
当時は埼玉の家族から離れて一人暮らしを満喫し、親友たちと毎日のようにバンド(この時はツェッペリンをこよなく愛するロッカーでした)に明け暮れていました。
そんな楽しい日々の中で起こったあの震災。
明け方5時、真冬なのでまだ真っ暗ですが、何だか眠れなくて漫画読みながらぼーっとしてました。
カタカタカタ…ワンルームの部屋が小刻みに揺れました。
前の道にトラックでも止まったのかなと思った次の瞬間、これまで関西では経験したことの無いような激しい縦揺れが起こりました。
なんだなんだ一体!
これ絶対地震やで!
慌てて布団をかぶり、揺れが収まるのをただ待ちました。
しばらくの間電気が止まり、情報を確かめたくても出来ないまま。寒い中ずっと布団にくるまり、復旧を待っていました。
明るくなってからようやくテレビがつき、何が起こったかを知りました。
埼玉から母が電話してきてやっと繋がったと。1時間あまりかけ続けていたらしい。
心配で気が気でなく、今すぐにでも飛んでいきたいと珍しいことを言っていました。
この当時で関西在住歴9年ほどでしたが、それまで大阪では地震は有り得ないというのが定説でした。
元々関東在住歴が長かったのですぐに地震だと分かったものの、隣に住んでいた九州出身の女の子はキャーキャーパニックを起こし。
地震に慣れていた私でさえあたふたするくらいなので、免疫のない関西の人ならなおさらです。
大阪ではそれほど大きな被害はなかったものの、大好きな神戸の街が火の海に…。
常連の楽器店があったセンター街も大きな被害を受け(楽器店は無事)、馴染みの店も燃えてしまいました。
神戸に住んでいたたくさんの友達が被災し、中には家が全焼した子、お母さんを亡くした子もいました。
一番きつかったのは、神戸での高校時代、大嫌いだった女の英語の先生が小さな息子さんを亡くされたと聞き、さすがに私もその時は涙を流しました。
あの震災で色んな考え方が変わってしまいました。
いつも当たり前のようにあった風景がいとも簡単に変わり果ててしまう、人間の力がいかにちっぽけなものなのかと。
だからこそ、一日を大切に生きていきたい。
1人の人間が出来ることなどたかがしれてるけど。
今日も、そしてこれからも生きている間中、今ある風景と繋がりを大切にしていきたい。
2019/01/17 ちぐさ